戦勝の7・27をもたらした軍事的奇跡

月尾島の勇士たちの偉勲

【平壌7月12日発朝鮮中央通信】祖国解放戦争史の節目には西海の小さな島である月尾島を守って戦ったわが人民軍勇士たちの偉勲が記されている。

わが人民軍の連続的な打撃によって南海岸の狭い地域に追い詰められた米帝は、いかなる代償を払ってでも侵略的目的を実現してみようと太平洋方面に配置していた自分らの陸・海・空軍の総兵力と地中海艦隊の一部、米本土の地上軍と追随諸国の軍隊を朝鮮戦線に増派した。

増強された兵力を持って洛東江界線で「総攻勢」を企図する一方、大規模な仁川上陸作戦を強行した。

1950年9月中旬、仁川の沖合いに位置している面積が0.66平方キロメートルで海岸線の長さがほんの4キロに過ぎない月尾島では、わが人民軍の4門の砲を持つ1個海岸砲兵中隊、1個歩兵中隊の兵力と米帝の約1000機の飛行機、数百隻の艦船、5万余人の大兵力間の熾烈な激戦が繰り広げられた。

米帝は無差別的な爆撃と艦砲射撃で島を火の海につくったが月尾島の防衛者たちは動揺したり、退いたりせず、砲弾が切れ、最後の砲まで破壊された時は対戦車手榴弾をもって敵の戦車を破壊し、白兵戦で敵を掃滅した。

月尾島の勇士たちは3日間の戦闘で敵の駆逐艦3隻を含む各種の艦船13隻を撃沈、撃破し、仁川上陸を遅延させることで偉大な領袖金日成主席が示した戦争第2段階の戦略的方針を貫徹することに大きく寄与した。

世界戦争史における奇跡を生み出した月尾島の勇士たちの偉勲は、世代と年代を継いでわが祖国と人民の記憶の中に輝いている。---