「赤旗」号電気機関車が伝える物語

金日成主席はチュチェ48(1959)年8月のある日、西平壌鉄道工場(当時)の竣工(しゅんこう)式場へ出向いた。

同日、工場の各所を見て回りながら、もう一つの機械製作拠点が築かれたことについて大変喜んだ主席は、工場の労働者たちに電気機関車をつくる課題を与えた。

主席は、大胆に考えて取り組めば電気機関車ではなく、それ以上のものもつくることができると述べ、工場の活動家と労働者を励ました。

主席の教えを胸に刻み付けた設計陣は、設計に取り掛かった。

主席は、毎日のように彼らの活動状況を調べて提起された問題を解決してやり、ぶつかる難関を自力で乗り越えるように力と勇気を与えた。

主席の温かい信頼と賢明な指導によって、工場では電気機関車の製作に成功した。

自ら現地へ出向いてわが国で初めて造った電気機関車を見た主席は、われわれの労働者と技術者はこのように電気機関車を造りだしたと重ねて満足の意を表し、自力更生が一番だと力強く述べた。

同日、主席は電気機関車に「赤旗」という名もつけてやった。

「赤旗」号電気機関車、これは自力更生の革命精神で生き、闘うように導いた金日成主席の賢明な指導がもたらした立派な創造物であった。---

www.kcna.kp (2023.11.29.)