【平壌12月20日発朝鮮中央通信】偉大な慈父の大いなる恩情の中で首都平壌で一生忘れられない貴重な追憶で意義深い日々を送ってきた平安北道と慈江道、両江道の被災者が自然の災いを克服して社会主義理想郷の村、人民の理想郷として立派に変わった故郷に帰る感激の時刻を迎えるようになった。
災難に見舞われた人民のために党と国家が取った建国以来、初めての特別措置によって、世がうらやむ特典と特恵に浴しながら夢のような首都滞在の120余日間を送り、素晴らしく様変わりした新しい住まいに帰るようになった年寄りと幼児の母親、戦傷栄誉軍人と児童・生徒は、大いなる感激の涙を流しながら、敬愛する
朝鮮労働党中央委員会の金正順、崔東明の両部長をはじめとする党中央委員会の活動家が被災地の住民、児童・生徒と共に参加した。
各集会では、
全ての被災者は、人民のための犠牲的な献身をまたとない楽と見なし、激しく押し寄せた洪水によって家と家産を失い、生死が寸刻を争っていた自分らを救い、この世の全ての福を与えた慈父への限りない感謝の念を書簡の文章ごとに盛り込んだ。
また、雨風の激しい飛行場で冷雨に濡れながら救助戦闘を指揮し、小さなゴムボートに乗って危険が漂う浸水区域の被害状況も直接確かめ、三伏の蒸し暑さに自分らが居るテントにまで訪ねて来て温かい恩情を施した
そして、特別列車とバスに乗って平壌市民の熱烈な歓迎を受けながら4・25旅館と閲兵訓練基地へ行きながらも、
続けて、父なる
さらに、宿所の活動家と従業員、医師があらゆる誠意を尽くして親切に世話し、金剛山と妙香山、龍水浦海水浴場や陽徳温泉文化休養地など、行く先々で特別貴賓の待遇を受けたとし、父なる
児童・生徒は、父なる
住民と児童・生徒は、他国なら絶望と悲哀に陥ったはずの被災者が党の懐でむしろ世がうらやむ福に恵まれた人々になったとし、劇的な運命転換を経験しながらわが党をなぜ母なる党と言うのか、わが国、わが制度をなぜ人民の国、人民の世と言うのかなおさら心から悟るようになったと心中の真情を吐露した。
また、父なる
そして、偉大な慈父の千万の労苦と取り換えたこの幸福をしっかり守っていく一念を抱いて故郷の地を多収穫の誇りが溢れ、住みよい所により美しく整えていく決意を表明した。
集会の参加者は、全ての被災者と全国の人民の一様な心を書簡に盛り込んでわれわれの運命であり、生の全部であり、社会主義大家庭の親しい父である敬愛する
続いて、敬愛する
全ての参加者は、この世で最も偉大な人民の指導者を社会主義大家庭の親しい父として高くいただいて生きる限りない幸福と感激を禁じ得ず、われわれの父なる