変更された設計図

偉大な領袖金日成主席が1972年4月のある日、現地指導の道で、ある工場の前を通る時のことであった。

ちょうど出勤時間なので労働者たちが足を急いでいたが、列車が汽笛の音を鳴らして道路の交差点に向かって走ってきていた。

労働者たちは、足を止めて汽車が通り過ぎるのを待ちながら機関士にあいさつを送ったりもした。

その光景を眺めていた金日成主席は、幹部らに労働者たちがあんなに線路を横切って通うのが安心できない、わが労働者たちが不便を感じないように道を立派につくってやろうと述べた。

現地指導を終えて平壌に帰ってきた金日成主席は、ある幹部を呼び寄せて線路の踏み切りをどのように設計したのかと尋ねた。

幹部は、そこに地下道路をつくることを計画したと申し上げ、持ってきた設計図を金日成主席に差し上げた。

設計図を注意深く見た金日成主席は、汽車が労働者たちの頭の上を通るようにするのではなく、わが労働者たちが汽車の上を行き来するようにしなければならないとし、線路の上に高架橋を一つ立派に建てることを指示した。

こうして、地下横断歩道の設計図は高架橋設計図に変更されるようになった。---

www.kcna.kp (2025.04.14.)