祖国と人民のための献身でつづられた偉大な一生

【平壌7月8日発朝鮮中央通信】偉大な領袖金日成主席の革命的生涯は、祖国と人民のための献身によって輝く人民の領袖の一生であった。

祖国解放直後から偉大な生涯の最後の時期まで金日成主席が現地で指導した単位の数はおおよそ2万600余り、その延長距離は57万8000余キロである。

金日成主席は、一生、人民と共に居る時が一番うれしいと言い、工場と農村、漁村、深い地下の切り羽など人民を訪ねて現地指導の道を歩み続けた。

抗日の日々、片時も忘れたことのない故郷であったが、解放直後、万景台の分かれ道を通り過ぎて降仙製鋼所(当時)を訪れて同所の労働者たちを新しい祖国の建設へと奮い立たせた。

祖国解放戦争(朝鮮戦争)の勝利を祝う大衆大会の場の幹部壇を下りるその足で江南窯業工場へ出向いたし、その後、戦後復興建設へと人民を決起させるために多くの単位を訪れた。

降仙製鋼所の労働者たちに1万トンの鋼材を増産すれば国が腰を伸ばすと言って、彼らを革命的大高揚の先頭に押し立てたし、この地に創造と飛躍の新しい時代、チョンリマ(千里馬)時代を開いた。

優れた大衆指導思想、大衆指導方法であるチョンサンリ(青山里)精神、チョンサンリ方法とチュチェの経済管理体系であるテアン(大安)の事業体系も現地指導の道で創造した偉大な政治方式、貴い富であった。

金日成主席の賢明な指導によって1958年に社会主義制度の樹立、14年という短期間に社会主義工業化の実現など壮大な繁栄の時代が開かれた。

金日成主席は、生涯の最後の日々に自身は今まで人民を信じ人民のために闘ったし、人民の中で生きてきた、自身は今後もいつもわが人民と共に居るであろうと述べた。

祖国と人民のための現地指導の道で生のまたとない甲斐と楽を求め、一生、人民を訪ねて歩み続けた金日成主席の献身と労苦があったがゆえに、わが共和国は不抜の威力を持つ社会主義国家として威容を宣揚することができた。---

www.kcna.kp (2025.07.08.)