【平壌7月6日発朝鮮中央通信】人民大衆中心の社会主義は、偉大な領袖
万景台のわらぶき屋根の家で生まれた
打倒帝国主義同盟(「トゥ・ドゥ」)の旗印の下、朝鮮革命のいかりをあげた歴史のその日も、祖国の解放を成し遂げ、この地に人民大衆の自主性が完全に実現した社会主義、共産主義を建設することを革命の目標として掲げた。
抗日武装闘争の時期と、祖国が解放された後に民主主義革命を遂行していた日々、主席の頭から離れなかったのは今後、わが国に立てる社会主義はどんなものであるべきか、社会主義建設偉業をどんな方向に沿って、どんな原則に基づいて遂行するかという問題であった。
主席は、わが国に立てる社会主義は徹頭徹尾、人民大衆が社会の全てのものの主人となり、社会の全てのものが人民大衆のために奉仕する社会主義になるべきだと見た。
戦後1950年代の中葉、教条主義者らは社会主義工業化の実現なしには生産関係の改造が不可能だの、何のと言って社会主義的改造の「時期尚早論」を持ち出した。
このような時である1955年4月、主席は朝鮮革命の性格と課題に関する歴史的なテーゼを発表し、自力で社会主義の草分けの道を踏み分ける自主の立場を宣明した。
主席の独創的な路線によって1958年8月、わが国では生産関係の社会主義的改造が実現し、社会主義革命が勝利することによって人民大衆中心の社会主義制度が樹立した。
主席が遺産として譲り渡した人民大衆中心の朝鮮式社会主義は、わが人民にとって生命、生活、ゆるぎない信念となっている。---
www.kcna.kp (2025.07.06.)