前線から帰る道で構想した果樹栽培農場

チュチェ41(1952)年2月のある日であった。

金日成主席は、前線から帰る道で、当時の平安南道中和郡のある峠道で車を止めるようにした。

荒廃化して見かけのよくない周辺を胸を痛めて眺めていた主席は、燃えているこれらの小山にも果樹園を造成しよう、ここは平壌も近いし、土地もよく肥やせば果樹園をつくるのに良いと思うと述べた。

そして、戦争で勝利した人民軍と人民に贈り物する果物を今から用意すべきだと述べて、ここを将来、首都の果物供給拠点にすればどんなに良いだろうかと語った。

苛烈を極める戦争の時期に、果樹栽培農場を築く構想を示す主席を仰ぎながら、同行した活動家たちはこの戦争は勝利した戦争であるとの確信をより固くするようになった。---

www.kcna.kp (2023.02.24.)